本からのお勧めを一節・・・
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Q. セルフとの関係に戻ってくると、もっとも美しい空間にいられる。それなのになぜ私は、これから抜け出すことを選んで、新しい映画を上映する為の新しい劇場を創るのでしょうか?
A. あなたが美しさの中の一人でいようと決めた時は、海に波がない時は、波のない充満性・完全性を楽しんでいる。そして海が遊ぼうと決めた時、この遊びの考えが波の形をとって現れる。
あなた言っている映画はこの波だ。海は、波は海でないが海の上で踊っているにすぎないということを知っている。海は波によって困らされることもないし、むしろ喜んで楽しんでいる。
そうすると、あなたの質問は、波のない海と、波のある海との違いは何かということになる。
この質問自体が波で、考えで、海ではない。
それは、波側からの考えだ。この分裂についての質問は波にのみ属する。海は決してこの質問をしないだろう。この考えは海から離れているという波の考えにすぎない。あなたは存在でありながら、存在から離れていると考えているにすぎない。波としては、高さや長さや巾、動きを持っていると考えるが、これらは全て考えだ。分裂は考えにすぎない。この分裂を終わりにしたい波が海を探し始める。波が海を探している!
Q. しかし、どの様にして海が波になろうと決めることができるのですか?
A. それは完璧さだ。海は完璧だ。遊ぶと決めたら波になる。これが意識だ。これが意識だ。”それ”が考えるものは何でも同じ意識からやってくる。
意識以外には何もありえない。違いと分裂を創り出すマインドゲームは、ゲームがなかったのと同じことだ。何の変化もない。波があろうがなかろうが海は海だ。意識は意識だ。形をとって現れようが、現れまいが、無は無だ。
無の観点あるいは意識の観点、覚醒の観点からすれば、全く何の違いもない。何の変化もない。あなたが”それ”だと知ったなら、違いは消えてしまう。あなたは、起こっているものから分裂してあるものではない。これは決して失うことができない!
形をとって現れる全ては、初めから終わりまであなたの、あなた”自身”の内なる波だ。あなた”自身”から離れてあるのではない。分裂しているという考えにすぎない障害を拒絶しなさい。こやあれでなく総体でありなさい。
あなたが決心したら、それはすぐに起こるだろう。あなたが決心しなくても、全ては同じであなただけだ。あなたの質問は”もし私が全体のこれであるなら、なぜ全体のこれなのか?”と同じことだ。ただこれに触らないことだ。
Q. もし”これ”や”あれ”を取り除いたら、何もない空間に居ることになる。
A. この何にもないことを誰が騒がすのかね。この何もないことに入っていくと、何になるのかね?
Q. どのようして海に滞まることができますか?
A. ”どの様にして”と言う概念を使わないことによってだ。 ”どの様にして”は波にすぎない。
Q. ”どの様にして”がなくなると ”海に留まること” が残るだけです。
A. ”どの様にして” が人々を困らせている。考えることは何でも、即座に、そうなるべき答えになる。あなたが考えるものにあなたはなるのだから、単に質問を取り除いたほうがよい。自由だと考えるのなら、あなたは自由になる。苦しんでいると考えるのなら、あなたは苦しみになる。これが意識の美しさだ! 考える、それになる、あなたが考えることは、そのまま起こってくる。そしてそれは、同じ意識だ。なぜなら、それが意識だからだ。外側から素材と得る必要がないからだ。それは意識で、全てが意識の内にある。意識は完璧で、意識が望むものは何でも即座に存在の中に現れるだから自由になりたいと望むなら、即座に自由になることができる。
この自由という思考は束縛という考えを取り除く為の考えにすぎない。自由になるためには、自由という考えを饗すだけでよい。そうすると、両方の考えが消えてしまうだろう。両方とも存在しない。あなたは、”あなたがあるがまま” で、決して変化しない。
あなたが肉体であり、マインドであるという考えを取り除きなさい。そうすると全てが踊り出す。これが自由といわれるものだ。自由を味わった人が、踊り出すのだ!
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凄い。
海と波の例えはサーファーなら更によく分かるかもしれません。
この人の例えはとても優雅で心が沸き立ちます。
これはよい表現だと思ったのでまたもや打ち込んでしまいました。
必要な人の届くように。
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